Portrait

《祈り》
垂直は恐ろしい。
最果てまで一気に連れて行かれるから。
それゆえ生者の形象が必要なのである。
1995年 楠 81-20-23㎝

《僧》
八角形の詩型。
90 度回ると重なりかつ左右対称である八角形は、安定しているように見える。
多くの仏像のフォルムは、このような八角形を底面とする八角柱に支えられている。
一方、90度回ると重なるが左右非対称である八角形には、回転の動きが感じられる。
私はこの現象を、あの《ミロのヴィーナス》に教えられた。
そして《僧》のフォルムもまた、回転の動きを生みだす八角形を骨格にして生まれた。
その時、彫刻家としての私の歩みが始まった 。
1990年 ブロ ンズ 37-25-27㎝

《漁夫》
苔をまとう古木のようなモデル。
そこにある有形無形の断片を構築したフォルムを、 彫り出してゆく。
一彫りごとの木の抵抗に、 感情を鎮め、感覚を清めるのを助けられて。
余分なものが消えてゆく。
観想の道のり。
1995年 楠 50-20-30㎝
Monument

《シャトー・ノワール─セザンヌの館》
ブリヂストン美術館にあったセザンヌの 《サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》の前に行く度に、 この絵の緑や青に分け入りながら、中央に佇むシャトー・ノワール、 すなわちセザンヌの館に近づきたいと思った。
その思い出が、《シャトー・ノワール─セザンヌの館》の マケットが出来上がった刹那に蘇った。
このモニュメントの構想にセザンヌの絵はなかったが、 フォルムや色の類似のみならず、 この画家が自然に求めたのと等価な奥行の実現を 常に求めていたためであろう。
〈第10回桜の森彫刻コンクール〉優秀賞作
日本国花苑(秋田県)に設置
2009 年 コールテン鋼 380-200-270㎝

《舞》
世界はいつもバランスを求めている。
バランスは繊細だが、それには立たせる力がある。
その力のおかげで外界のみならず心の世界も、 どれほど傷つこうが自らの個性を失うことなく立ち直れる。
しかもその力は、世界が自らの構造を絶えず変え、 開かれた明るみへと向かうことを可能にする。
解き放たれた新たな空間。
それは、あらゆるものの舞の動きに現れる。
〈くにたちアートビエンナーレ 2018〉入選作
国立市さくら通り(東京都)に設置
2017年 コールテン鋼 200-150-40㎝
Installation Art

《MUSUHI》
コンクリートのうえに立ち並ぶ倉庫、 天をさして林立するクレーンのアーム、 視界を重く塞ぐ建造中のタンカーの横腹。
船上から神戸港を望んだ私の眼に、人工物の織り成すこうした光景は、 自然の姿のようにも映った。
それは、圧倒的な巨大さゆえに、 幾重にも連なる山谷に近いイメージを与えるからであろう。
では、神戸港の空間に息づくあの興趣の正体はなんであるのか。
私は確かに、港を厚く覆うコンクリートの下から、萌えいづるものの存在を感じた。
それは、私、いや私たちの意識の古層に潜む記憶の断片のような気がする。
そういえば古代日本人は、万物の生成する力を「むすひ」と呼んだという。
おそらく私は、神戸港をこの自然観にそって見たのであろう。
そこで神戸からの帰路に得たイメージを具現化したインスタレーションに、 《MUSUHI》という名を与えたのである。
〈神戸ビエンナーレ2013・神戸港・海上アート展〉奨励賞作
2013 年 鉄、合成樹脂等 h.450㎝

《Heimatlos-故郷喪失-》
世界が、すっかり昏くなった。
まだ道が見えていた頃、ひとつの幻影がすくいあげられ、白い布に巻かれたふたつのフォルムに構築された。
爾来、これらのフォルムはそれぞれ傾いた建物の骨組みの傍らで、黙って彼方を見つめ続けている。
ゆえに、そこここに故郷喪失者の苦しみ、悲しみ、怒りが漂っているのであろう。
とはいえ、あの幻影の種がどこから私の内奥に飛来したかは定かでない。
原発事故の被災地?
数多の貧しい人々が越える国境?
爆弾で破壊された都市?
あるいは難民の子どもが命を落とした海?
そこから時を遡りホロコーストの歴史?
いや、存在の故郷を探し求めたハイデガーの思想からであったのか?
Ⅱ ArtApp Artist Contest, Winner (イタリア)
2015年 鉄、晒等 h.250㎝

《La fermata》
過去を留めている倉庫内。
所狭しと置かれた昭和の道具や日用品が、外の流れの速くなったことを気づかせる。
とりわけインターネットが普及してからは。
パソコンや携帯電話に届く画像や動画は、一時、数多の視線を引き寄せるものの、すぐに見慣れた光景として処理される。
爆撃で瓦礫と化した都市、その一角に並ぶ遺体、溺死した難民の子の姿であっても。
リアルとヴァーチャルが見分け難いほど混在するサイバースペースに、悲劇の痛みはどれほど存在するのか。
自身は安全圏にいると信じる者の感覚の麻痺。
それに抗うかのように、人体を感じさせるこれらのオブジェは、 時を堰き止めている倉庫内で、鉄棒で刺し貫かれ、宙に固定された 。
〈第五回蔵と現代美術展─響き合う空間─〉入選作
2017年 麻、発泡スチロール、 鉄柱
Model

《Voyant》
それが生まれて最初に見たのは、私だった。
続いてそれは、自分の源泉の神話的世界に目を向けた。
しかし、今、それが飛べない渡り鳥のように見ているのは、世界の果てである。
Quando è nato, la prima cosa che ha visto sono stato io. E poi ha guardato il mondo mitico della sua origine. Tuttavia, è il termine del mondo che ora vede, come un uccello migratore incapace di volare.
When it was born, the first thing it saw was me. And then it turned its eye toward the mythical world of its source. However, now it's the world's end that it's looking at, like a flightless migratory bird.
Când s-a născut, prima suflare pe care a văzut-o am fost eu. Apoi, şi-a întors privirea către lumea mitică a originii sale. Acum, priveşte către sfârşitul lumii, ca o pasăre migratoare care nu poate să zboare.
2021年 鉄 91×300×110㎜
クリシュ国博物館所蔵

《ベアト・アンジェリコの翼あるもの》
鉄を折り曲げる。そこに予期しなかった奥行が、時おり現れる。
「…奥行はいつも新しい。そして、それは、ひとびとが「一生に一度」ではなく、一生涯求め続けることを要求する」とメルロ=ポンティの遺著にあった。
私は、このオブジェに新たな奥行を認めたとき、この言葉とともにある物語を思い出した。
アントニオ・タブッキ著『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』。
サン・マルコ修道院の《受胎告知》とそのほかの二枚のフレスコ画に描かれた天使には、それぞれにモデルがいたという話である。
モデルとなった翼ある三匹の生きものたちは、この物語の最後、数枚の羽を残してベアト・アンジェリコのもとを去る。
私は、その刹那に吹いたであろう一陣の風を、このオブジェの渦巻きに見るのである。
〈第22回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)〉入選作
2006年 鉄 30-40-20㎝

《Germination》
古代日本のムスヒ的自然観や古代ギリシアのフュシス的自然観においては、 万物は草木のように発生して現れるという。
とすればそうした世界では、人もまた大地から発芽して生まれる。
そして宇宙の片隅で万物に祈りを捧げながら生を送り、死ぬと土に還る。
循環する命。
この無常なる世界に私は静止点を求める。
〈第25回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)〉入選作
2012年 鋳鉄、鉄 55-40-20㎝
Urushi

《道化師のトルソ》
空を孕む豊かな丸みや、清風を生じさせるかのような優美な軽やかさ。
興福寺の阿修羅像をはじめとする天平時代の脱活乾漆像は、 漆には、漆器に見られるような艶めかしい光沢の他にも、特有の表現があることを教える。
《道化師のトルソ》もまた、脱活乾漆の技法によって生まれた。
とはいえ、「私の世界が最初の、そして唯一の世界なのだ。私は、私が世界をいかに見出したか、を報告したい」
というウィトゲンシュタインの言葉は、芸術にも該当すると信じている 。
2006年 脱活乾漆 45-19-10㎝

《綱渡り師》
漆は血液である。 肉体を求め、原初に誘う。
幻の両腕を精一杯に広げている身体にも、 抽象性を有する古代の遺物にも見える このフォルムが、漆を求め、 脱活乾漆の技法によって 生み出されたのは、必然であった。
おそらくこのフォルムに内在するような 肉体的、根源的な衝動を、 ニーチェはあらゆる生命体に認め、 「力への意志」と名づけた。
そのニーチェの思想の断片が 記憶のどこかにあったためであろう、 このフォルムが実際に真鍮棒に乗った時に まず想起されたのは、 他ならぬ『ツァラトゥストラはこう言った』に登場する 「綱渡り師」であった。
〈第4回藝文京展〉藝文京展優秀賞作
2017年 漆、包帯、 真鍮 49-39-22㎝

《Heimatlos》
アドリア海を渡る難民の姿。
それはこのフォルムに投影されているのかもしれない。
とはいえ、彫刻は政治的主張の手段ではない。
有用性、有効性が求められるものではないから。
人間と同じく、 ただそこにあるだけで充分な存在でありますように。
〈International Biennial of Miniature Art Timisoara 2016〉Award
ティミショアラ西大学所蔵
2016年 漆、布、 真鍮、アルミニウム等 15-15-15㎝